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東京地方裁判所 平成6年(ワ)24618号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、金八二万四三七〇円及び内金七二万四三七〇円に対する平成四年四月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の本訴請求及び被告の反訴請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、本訴反訴を通じて七分の一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  本訴請求について

一  本訴請求原因1(当事者)及び2(診療契約の締結と手術の施行)の各事実は、当事者間に争いがない。

二  この争いのない事実と、《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

1  本件手術に至る経緯

(一) 美容外科医である被告は、本件手術当時、腋臭、多汗症の手術に自ら命名した「アサミ式吸引法」という手術方法を用いていた。この方法は、脂肪吸引用のカニューレ(吸引管)の形状に工夫を加えた独自のカニューレを使用し、腋の下の腋毛の生えている縁辺りに数ミリメートルの切開を加えて、カニューレを挿入し、カニューレを前後に動かして、腋臭、多汗の原因となるアポクリン腺や多汗の原因となるエクリン腺の一部を掻爬、吸引していく手術方法である。

この手術方法は、他の美容外科医師が行つていた掻爬、吸引式の腋臭手術法を基礎としつつ、カニューレの形状に被告独自の工夫を加えたものであり、被告は、本件手術当時までにこの手術方法で数多くの手術を行つていた。

腋臭、多汗症の手術方法としては、剪除法、切除法、掻爬法、吸引法などがあり、アポクリン腺やエクリン腺の除去の効果を高くしつつ、切除創を小さくするための工夫がされているが、それぞれ一長一短がある。アサミ式吸引法は、切除創をできる限り小さくするとの点に重点を置く方法であり、アポクリン腺の除去には効果があるが、エクリン腺の除去については十分な効果は得られない。

(二) 被告は、腋臭、多汗症の治療法としてアサミ式吸引法が優れていることを解いた著書を執筆し、数多くの女性週刊誌にこれらの著書の宣伝という形式で、被告の治療法や被告医院の紹介記事を掲載していた。

このような紹介記事は、アサミ式吸引法によれば、傷痕を残すことなく腋臭や多汗症を簡単に完治させることができる旨の内容となつていた。

(三) 原告は、当時二〇歳の女性であつたが、日ごろから多汗症で悩んでいたところ、女性週刊誌の宣伝記事から被告の治療法を知り、傷痕が残らず入院が不要であるとの記事の記載から被告の手術を受けることを考えて、被告医院を訪れた。

2  被告の説明

平成四年四月三日、原告は被告医院を訪れ、被告に対し、多汗症に悩んでいるので手術を受けたいと申し出た。これに対し、被告は、腋臭や汗の原因について説明し、さらにアサミ式吸引法について、従来行われていた腋臭の手術方法(腋の下を切開して皮膚を裏返して汗腺を剪除する方法)ならば大きな傷痕が残るが、アサミ式吸引法だと一、二針縫うだけで傷は目立たないことを、カニューレの図などを書きながら説明した。一方で、被告は、被告の手術によつて完全に汗が出なくなり、臭いがなくなつたりするわけではないことを説明し、また、一週間後に抜糸に来ることなどの術後の注意事項の説明もした。

原告は、被告の説明を聞いた上で多汗症の手術を受けることにし、併せて両腋の下の脱毛手術も受けることにした。

3  手術及びその後の経過

(一) 平成四年四月三日、原告は前項の診察後、被告により、両腋の下についてアサミ式吸引法による多汗症の手術を受け、同時に脱毛手術の一部も受けた。多汗症手術の切開創は縫合され、ガーゼとパッドを当てた上にテープを貼つて固定された。

(二) 同月一〇日、原告は、抜糸のために被告医院を訪れ、その際、切開部付近に原告の予想よりも大きい瘢痕が生じていることを知つたが、そのうち目立たなくなるだろうと考えて、被告に苦情を言うことなくそのままにし、同年五月二九日と同年七月二四日、被告医院においてさらに両脇の下の脱毛手術を受けた。

(三) しかし、瘢痕が一向に小さくならず、また多汗症も軽減しないように感じたので、原告は、同年九月八日、被告医院を訪れ、被告から瘢痕を小さくするために、瘢痕にステロイド剤の注射を受け、以後三回にわたりステロイド剤の注射を受けて様子を観察したが、瘢痕は小さくならなかつた。

(四) 現在、原告の右腋の下には大きな瘢痕が残存しており、この瘢痕は付近の皮膚とは色も異なり、一見して目立つ状態にある。左腋の下の瘢痕は右腋の下に比べれば比較的小さいものの、近寄つて見れば明らかに存在を認識することができる状態にある。

(五) 多汗については、本件手術によりアポクリン腺やエクリン腺の各一部が除去されたことから、幾分軽減した可能性はあるが、原告が術前に期待したほどの汗の減少には至つていない。

(六) 脱毛については、前記(二)の二回の手術でほぼ脱毛は終わり、あと一度手術をすれば完了という状態になつたが、原告は、被告に対する不信感からその手術を受けなかつた。脱毛手術による色素沈着は、現在ではほとんど目立たない。

三  被告の責任について

1  手術方法の選択について(請求原因4(一))

原告は、そもそもアサミ式吸引法の医学的効能は明らかではなく、この方法で手術をすべきではなかつた旨主張するが、前記二1(一)のとおり、腋臭や多汗症の手術方法にはさまざまなものがあつて、それぞれ一長一短があり、アサミ式吸引法は、エクリン腺除去の効果は劣るものの、症状の改善に対して一定の効果があるのであるから、手術方法として不適切とまではいえないので、この主張には理由がない。

2  術後管理について(請求原因4(二))

原告は、原告を入院させて手術部位を圧迫固定すべきであつた旨主張するが、前記二3(一)のように、被告においても手術部位の固定は行つており、被告本人尋問の結果によれば、大部分の患者はこれで瘢痕を残すことなく治癒していることが認められるのであつて、原告に残存した瘢痕が術後の固定不足によるものであるとは証拠によつても認めることができないから、被告には原告主張のような固定方法を取るべき義務があるとはいえず、原告の主張には理由がない。

3  脱毛手術について(請求原因4(四))

前記二3(六)のとおり、脱毛方法による色素沈着は現在ではほとんど目立たないのであるから、原告にはこの点について損害が生じているとはいえず、この点について被告の責任を論ずる余地はない。

4  被告の説明義務違反について(請求原因4(三))

(一) 一般に、手術のような治療行為は患者の身体に対する侵襲行為であるから、手術の施行に当たつては患者の承諾が必要であるところ、腋臭や多汗症の手術は、その処置を直ちに行うべき緊急性や必要性に乏しく、元来健康体ではあるが、体質的に腋汁が特有の悪臭を放つたり、多汗であることを気に病む患者の、この状態を改善したいとの希望を満足させる手術なのであるから、腋臭や多汗症の手術に当たる医師には、その手術の方法やどの程度患者の状態が改善されるかについて説明するほか、手術の危険性や副作用が生じる可能性についても十分に説明し、患者においてこれらの判断材料を十分に吟味検討した上で、手術を受けるかどうかの判断をさせるようにすべき注意義務がある。

とりわけ、患者が原告のように若い女性の場合、症状の完治ないしは改善を期待して手術を受けること自体は希望しても、いざ手術を受けるかどうかを決断するに当たつては、手術後に傷痕が残存するかどうか、残存するとすればどの程度のものになるかが最大の関心事であることは明らかであるから、この点を十分に説明しなければならない。前記二1(二)のとおり、被告はアサミ式吸引法に関する著書の宣伝を多数の女性週刊誌に掲載し、その記事において、傷痕を残すことなく腋臭や多汗症を完治させることができるとの極めて楽観的な記述をしているのであるから、被告は、その記事を読み、これを信じて被告医院を訪れる患者が多いことも当然知つていたはずである(むしろ、そのようにして多数の患者を誘引していたものと解される)。したがつて、被告は、原告に対し、宣伝記事には載つていない治療効果の限界や危険性について、患者の誤解や過度の期待を解消するような十分な説明を行うべきである。

(二) ところが、被告は原告に対し、前記二2のとおり、一、二針縫うだけで傷痕は目立たないと説明したにとどまり、原告のように一見して目立つような大きな瘢痕が残存する可能性があることは説明しておらず、原告本人尋問の結果によれば、被告がそのような説明を行つたならば原告が本件手術を受けなかつたことは明らかであるから、被告には、原告が本件手術を受けることを決定するについて必要な判断材料を与えなかつたという説明義務違反があつたというべきである。

被告は、その本人尋問において、原告に対して少数であるが体質によつて瘢痕が残る場合がある旨の説明もしたと供述しているが、《証拠略》によれば、被告は、原告に体する本件手術の後に、初めて、腋臭手術の前に患者に交付する定型の注意書を作成し、その中に体質によつて瘢痕が残る可能性があることを記載するに至つていることが認められるのであるから、原告に対する手術の当時そのような説明を行つたというには疑問があり、原告本人尋問の結果に照らしても、被告のこの点の供述は採用できない。

(三) したがつて、手術の決定において被告の説明義務違反が認められる以上、被告が行つた多汗症の手術は原告に対する不法行為に該当するというべきであり、被告には、手術によつて原告に生じた損害について賠償する責任がある。

四  損害について(請求原因5)

1  治療費、通院交通費

《証拠略》によれば、原告が被告医院に対して初診料、抜糸処置料として一万〇三〇〇円を支払つたことが認められる。原告が東総信に対してショッピングローン契約に基づき一六万八七二〇円を支払つたことは当事者間に争いがないが、他方、前記二3(六)のとおり脱毛手術についてはほぼ終わつており、《証拠略》によればその費用は一〇万円であることが認められるので、多汗症手術のために原告が東総信に支払つた額は六万八七二〇円と認められる。

また、《証拠略》によれば、原告は、本件手術の後、平成五年二月ころまでに、北里大学病院をはじめとする七か所の病院、美容外科医院を訪れて瘢痕の治癒可能性、再手術の必要性について診察を受け、合計二万七六九〇円を支払つたこと、原告は被告医院その他の病院、医院への通院のため、交通費として合計一万七六六〇円を支出したことが認められる。

2  通院慰謝料

本件手術後、前記1のとおり、瘢痕の治癒可能性、再手術の必要性について診断を受けるために原告がいくつかの病院に通つた心境を考慮すると、通院慰謝料として一〇万円を認めるのが相当である。

3  慰謝料

原告の両腋の下の瘢痕は、前記二3(四)のとおりに残存しているところ、被告は、この瘢痕はステロイド剤の塗布や注射により目立たなくなる旨主張するが、前記二3(三)のとおりステロイド剤の注射も効果は上がらず、手術後数年を経過した後も前記のような状態で残存しているのであるから、今後も経年によつて目立たなくなる可能性を待つ以外に方法はないものと考えられる。

原告は、傷痕を残さずに多汗症を治療できると期待していたが、その期待を裏切られ、多汗症が明らかに改善されたわけでもない上、未婚の若い女性が夏期などに露出する機会もある部分に瘢痕を残したことで精神的損害を被つたものと認められるから、これに対する慰謝料として五〇万円を認めるのが相当である。

4  弁護士費用

本件事案の内容等を考慮すると、被告の不法行為と相当因果関係のある損害として被告に負担させる弁護士費用の額は、一〇万円が相当である。

5  よつて、原告の本訴請求は、被告に対し不法行為に基づく損害賠償として合計八二万四三七〇円及びこのうち弁護士費用を除いた七二万四三七〇円に対する不法行為時である平成四年四月三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

第二  反訴請求について

一  反訴請求原因について

1  《証拠略》によれば、反訴請求原因1の事実が認められる。

2  同2ないし4の各事実は、当事者間に争いがない。

3  同5の事実中、被告が平成六年一一月九日、東総信に対し二一万四二八〇円を支払つた事実は当事者間に争いがなく、その余の事実は《証拠略》により認められる。

4  同6の事実中、東総信が原告代理人に対し債権譲渡を通知した事実は当事者間に争いがなく、その余の事実は《証拠略》により認められる。

5  よつて、被告は、原告に対し、二一万四二八〇円の立替金債権を取得した。

二  反訴請求に対する抗弁について

1  前記のとおり、被告は、本件診療契約において、被告が果たすべき説明義務を怠り、原告の意に沿わない手術を行い、腋の下に大きな瘢痕を残存させたばかりか、多汗症に対する効果もそれほどなかつたのであるから、被告は、原告に対する診療契約上の義務を履行していない。

したがつて、原告は被告に対して、多汗症手術につき手術代金の支払義務を負わないところ、《証拠略》によれば、原告と東総信とのショッピングクレジット契約第一二条は、原告は販売店(この場合は被告)に対して主張しうる抗弁事項をもつて東総信に主張できると定めているから、本件の場合、原告は東総信からの請求を拒むことができる。

2  被告は、東総信からこのような抗弁の付着した債権の譲渡を受けたのであるから、原告に対し、立替金の支払を求めることはできない。

三  よつて、被告の反訴請求は理由がない。

第三  結論

原告の本訴請求は、被告に対し八二万四三七〇円及びこのうち七二万四三七〇円に対する平成四年四月三日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるから認容し、原告のその余の本訴請求及び被告の反訴請求は、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 片山良廣 裁判官 小野憲一 裁判官 小野寺真也)

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